« 2025年2月 | トップページ | 2025年4月 »

2025年3月

2025年3月27日 (木)

嵯峨清涼寺(釈迦堂)の河津桜など 2025

京都市右京区に有る、嵯峨清涼寺の河津桜などの動画です。同じ右京区の車折神社と、この嵯峨清涼寺は河津桜が咲きます。撮影日 2025/03/27。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち撮影。若干の手振れ補正をしています。なお、バス停の名称は「嵯峨釈迦堂前」です。嵯峨清涼寺に、ついてはホームページなどを、ご覧下さい。

|

2025年3月23日 (日)

車折神社 枝垂れ梅と河津桜など 2025

京都市右京区では一番、早く咲くと言われる車折(くるまざき)神社の河津桜と枝垂れ梅の動画です。撮影日 2025/03/20。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち撮影。若干の手振れ補正を行いました。

|

2025年3月19日 (水)

TECの法則発動か

TECの法則も発動されたようです。

 

20250319-210635

|

JR嵯峨野線 電車です。2025 1

京都市右京区に有る陸橋から撮ったJR嵯峨野線の電車の様子です。撮影日 2025/03/18。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち撮影。若干の手振れ補正を行いました。

|

2025年3月15日 (土)

城南宮 枝垂れ梅と椿など 2025

城南宮は京都市伏見区に有る神社です。拝観料は大人 ¥1,000です。城南宮ホームページによれば「延暦13年(西暦794年)の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を八千矛神(やちほこのかみ)と息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮のご創建と伝え、城南宮とは平安城の南に鎮まるお宮の意味です。」と有ります。撮影日 2025/03/14。撮影機材 iPhone SE 2nd。手持ち撮影。若干の手振れ補正を行いました。

|

2025年3月 9日 (日)

京都の世界文化遺産 二条城の梅など 2025

京都市中京区(なかぎょうく)に有る。京都の世界文化遺産の二条城の梅などの動画です。撮影日 2025/03/09。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち撮影。若干の手振れ補正を行いました。

|

2025年3月 2日 (日)

西田敏行さんの玉垣が無くなっていた車折神社 2025

京都市右京区に有る車折(くるまざき)神社ですが。2024年10月17日に亡くなられた西田敏行さんの玉垣が無くなっていました。以前は米倉涼子さんの左横に有りました。車折神社で一番、有名な渓仙桜が有ります。後、右京区では一番、早く咲くと思われる河津桜も有ります。白い花が特徴で画家の冨田溪仙が奉納し「渓仙桜(けいぜんさくら)」と名付けられた立派な枝垂桜が有名です。
撮影日2025/03/01。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち。
車折神社のホームページには【ご祭神・清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程です。第一鳥居頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました。】と書いて有ります。

|

« 2025年2月 | トップページ | 2025年4月 »