西田敏行さんの玉垣が無くなっていた車折神社 2025
京都市右京区に有る車折(くるまざき)神社ですが。2024年10月17日に亡くなられた西田敏行さんの玉垣が無くなっていました。以前は米倉涼子さんの左横に有りました。車折神社で一番、有名な渓仙桜が有ります。後、右京区では一番、早く咲くと思われる河津桜も有ります。白い花が特徴で画家の冨田溪仙が奉納し「渓仙桜(けいぜんさくら)」と名付けられた立派な枝垂桜が有名です。
撮影日2025/03/01。撮影機材 iPhone SE 2nd手持ち。
車折神社のホームページには【ご祭神・清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程です。第一鳥居頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました。】と書いて有ります。
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